株式新聞

2019年8月26日(月)

その時相場が動いた=2008年10月、サーキットブレーカー発動(下)

コラム

2019/1/20 9:00

 「その時相場が動いた」では過去の株式市場の出来事をピックアップしつつ、当時の紙面や株式市場の状況などを紹介していきます。

 

パニック相場だからこそ…

 相場急変時に取引を緊急停止するのが「サーキットブレーカー」制度。この制度は過去に日本でも何度か発動されたことがある。リーマン・ブラザーズの経営破たん(2008年9月15日)から18営業日目の同年10月10日にも発動された。

 この日は前日にニューシティ・レジデンス投資法人がJ―REIT(上場不動産投信)の運用会社としては初の民事再生手続きに追い込まれ、中堅生保の大和生命の倒産も追い打ちをかけた。東京市場では取引開始直後から先物に売りが殺到、サーキットブレーカーが発動され、現物株も全面安となった。

あっさり下値メド変更

 当時、筆者は前日に行ったある証券会社のストラテジストへの取材をまとめた相場見通しの記事を書き上げたところだった。しかし相場が急変したのでストラテジストに電話し、8000円と言っていた日経平均株価の下値メドを再確認すると「では7000円で」とあっさり訂正されてしまった。

 ずいぶんいい加減なものだなと感じたが、今にして思えば無理もない。迫りくる恐慌のすさまじさを敏感に感じ取っていたマーケットには、テクニカルや経験則からはじき出されるサポートラインなどはかないものにすぎない。投資家が理性を失い、売りが売りを呼ぶ相場は、まさにサーキットブレーカーの出番にふさわしかった。以降の日本での制度適用は、東日本大震災と福島原発の事故により株価が暴落した11年3月まで見当たらない。

 サーキットブレーカー発動日の終値から、その後に付けた安値までの日経平均の下げ幅をみると、米国同時多発テロが発生した際の01年は162円と軽微な下落にとどまった一方、リーマン・ショック時の08年は1281円まで広がった。

 11年は1484円とさらに大きいが、率ではリーマン・ショック時が15.5%と震災の15.4%をわずかに上回る。

 なお、最後に日本でサーキットブレーカーが発動されたのは、いわゆる「バーナンキ・ショック」の起きた13年5月。その時の安値までの下げ幅は2000円超に達したものの、下落率は14.3%とやはり08年ほどではなかった。

(随時掲載)

※右の画像クリックで当時の紙面拡大

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